病気入院は人格に深みと幅を与えてくれる修業の場?【その他】
- 2019.03.17
- 家飲み/家食べ
実はいま入院中。
長年、体のためには何もしてこなかったツケが回ったのか、ドクターからは3週間の入院加療を要するとのこと。
病状について詳しくは書かないが、行きつけのクリニックの血液検査で異常が見つかり、検査した結果、病気が見つかった次第。
本来は昨年の11月に入院の予定だったが、私のワガママで今になったのだ。
入院してみると、世の中には病気や障害で苦労している人がとても多くいることがよく分かる。
私もその中の一人になったのだが、病気になってみると今までの勝手し放題、飲み食いも好きなものを好きなように飲んで食べていたのが、それは実に不遜な態度だったと言える。
もう少し謙虚になって、そういう自分勝手な振る舞いは慎まなければと思う。
朝ご飯や晩ご飯を感謝して食べるということではなく、食事が出来ること自体に感謝したいということだ。
食事が出来るというのは健康の証しというのが、病気になるとしみじみ分かる。
もちろん料理には美味しいもの、そうでないものがあるし、口に合うとか合わないということもあるが、食材にはなんの罪もない。
それは作り手の問題だったり流通の問題だったり、また食べる側の嗜好もあるだろうけど、食事ができるということが尊く、それに対してはいつも謙虚な姿勢でいたいのだ。
おいしい食事が出来るのは、何と言っても健康な体。
いくら目の前に美味しいものを並べても、病気では食べられない。
入院直後の私がその状態で、食べることが出来なかった。
正確に言うと食べられないのではなく、食べることを禁じられていたのだ。
水泳の池江璃花子さんもそんな状態のようで、彼女のTwitterによれば、ご飯が二日も三日も食べられずとても辛かったとのこと。
食べられないのは辛いことなのだ。
そう思うと毎日食べられるだけでも幸せというもの。
たまたまこの日から食事が出されるようになったが、6日ぶりに食べれば、それがたとて病院食であっても頗る美味いと感じる。
絶食した後では薄い味でも美味しいと思え、素材の持つ味が素直に味わえる。
こちらが謙虚で素直な気持ちなら、素材の持つ旨さが素直に味わえるのだ。
これは人に対しても同じではないかと思う。
日頃はどうしても(イヤなタイプが多いが)地位の高い人とか金持ち、自己主張が強い人とか目立つ人にだけ目が行きがちになる。
そんな目立つ人の影に隠れがちだが、目立たなくても地道に努力している人や、経済的には恵まれた立場でなくても頑張っている人などの方が多いと思う。
それに身体的に弱い人も多くいる。
今までは、横断歩道でノロノロ渡っている高齢者を見れば「何をモタモタ歩いているのか?」と思ったり、レジでの支払いにマゴツイていれば「早くせーよ」と思ったりもしていた。
いま思えばそれはひどい話で、それはモタモタしているのではなく、それが精一杯のスピードだったのかもしれないのだ。
もちろん中にはマナーが守れないような人や自分勝手な人もいるだろうが、基本的には優しく接するのが我々のマナーだ。
病気して良かったなどと言うつもりはないが、こんなことに気付かさせてくれたのは病気のお陰。
人は勢いがある内は、奢り高ぶりな振る舞いや考えに成り易い。
相手の人格を見ずに、バカにした思い上がった考えも持ってしまう。
そんな驕った心を病気が正してくれたことが、今回の入院による一番の収穫かな。
そう思うと病気入院は、人格を磨く修行の場とも言える。
ナースの親身になっての看護にも頭が下がる思いだ。
皆さんは入院などしなくてもお分かりだろうが、凡人以下の私は修行しないと何も気付かない。
もっと心を磨かないとね。
あ~、それにしても寿司が食べたい。
早く病気を治して寿司屋へレッツゴーだ、って、さっき書いたこととはエライ違いだな。
ま、これも私と言うことで。
以上のような状況なので、ブログの更新はしばらくお休みにします。
退院したら再開する予定ですので、それまではご猶予のほどお願いします。
ではその日まで。
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