鶏肉の柔かな美味しさが味わえる「とり天」で一杯【自宅】
- 2020.10.26
- 家飲み/家食べ
ブログの更新をサボっている訳ではないが、遊ぶことも含めてアレコレやることがあって、更新が遅れている。
書きたいことは溜まっていても、書く時間が取れないのだ。
メールでも「更新を楽しみにしています」と言われているし、早く書かないと話題の ”鮮度” も落ちてしまうのだが、これが捗らない。
そのため ”周回遅れ” のような記事になってしまうけど、お許し願いたい。
この日は前夜の約束通り「とり天」。
鶏肉の賞味期限が間近で、鶏肉を早く使いたいと奥殿に言われたからだ。
鶏ならチキンカツもあるしクリーム煮もあるけど、とり天がいいというのが奥殿のリクエスト。
それは同時に、天ぷら担当の私が作ることを意味するが、奥殿にとってはとり天が最近のイチオシのようで、一週間に二回でもOKという。
加えて私の作るとり天が美味しいとも言うが、これには多分にお世辞が入っているかも。
だが男は単純な生き物で、褒められば嬉しいし、お世辞であってもガンバってしまうものなのだ。
あれこれ思っているより、作れば簡単なこと。
速攻でとり天と野菜を揚げ、セットしてもらったのがこれ。
昨日のタラの天ぷらのセットとほぼ同じだけど、家の晩ご飯なんてこんなことの繰り返しだ。
でもこういう普通のご飯が美味しいのも事実で、高級なレストランや料理屋の料理の美味しさとは、また違った旨さがある。
普段食べているものはごく普通のもので、派手さもないし豪華さもない。
飛騨牛のステーキだ、車海老の刺し身に金目鯛の煮付けだ、フカヒレの姿煮にトロの握りだなんてことは普通では出来ない。
それらは ”インスタ映え” する料理ではあるけど、たまに食べるからいいものであって、毎日食べるものではない。
経済の面からも、そんな贅沢はできないのだ。
高級で高価な食材を使えばそれは美味しいだろうけど、安い材料を使って美味しく仕上げるのが家の料理。
ご飯に味噌汁、それにちゃんと作ったおかずがあれば、実はそれがご馳走だ。
この日の晩ご飯に並べられているものも、大した材料は使っていない。
とり天をメインに、ナスやニンジンなどの料理が並んでいるだけ。
それでも私にはこれで十分に美味しいし、不満もない。
これは野菜の天ぷらで、ナス、ニンジンにピーマンのセット。
いつも思うことだけど、何の味付けもしていない野菜の天ぷらだけど、これが美味しいのには驚かされる。
揚げたことにより野菜のうま味が引き出されていると言うか濃縮されるというか、とにかく野菜の味そのものが味わえて美味しいのだ。
これなど材料の原価なんてたかが知れたもので、計算したことがないけど、20円か30円ぐらいなのでは。
高い食材でなくても美味しいものはいくらでもあるし、料理の仕方によってより美味しくなるのだ。
これはナスの煮物とナスの漬物。
ナスの料理が多いが、有るもので作れば食材が重なることはしばしば。
農家出身の奥殿によれば、昔は大根が出来るときは大根のおかずばっかりだったし、ほうれん草ができればほうれん草のおかずばっかりだったとか。
サラリーマンの家ならそんなことはないだろうが、農家はそんな食生活だったとか。
それを思えば今は肉も魚もあって、豪華なものだ。
今日のメインのとり天。
鶏の天ぷらも美味しいけど、奥殿はとり天にハマっている。
とり天と鶏の天ぷらの違いは、鶏に味を付けるか付けないかだけの違いで、とり天は味を付けてから揚げる。
味を付けると言っても麺つゆに浸すだけのことだけど、これをやると味が付くだけではなく、鶏肉が柔らかくなるのが不思議。
なぜ柔らかくなるのかは分からないけど、柔らかくなることは確か。
理論的には説明が出来るのだろうけど、理屈なんてどうでもいい。
むかし料理は科学だという人がいたけど、理屈で料理を作るなんて味気ないよね。
科学の実験じゃないのだから。
そんな話は置いておいて、ビールだ。
グイッと飲めば理屈なんてブッ飛ぶ。
単純に旨いのだ。
さ、安い晩ご飯で宴会の始まり。
毎日毎晩、飲んでばかりで恐縮。
今夜も美味しかった、ごちそう様でした。
ブログ村のランキングに参加してます⬇
にほんブログ村
-
前の記事
「鱈の天ぷら」は軽いタッチで優しい味わいの料理【自宅】 2020.10.23
-
次の記事
紅葉を求めて愛知の最高峰「茶臼山」へツーリング【愛知県豊根村】 2020.10.28