信長も家康も勝頼も”兵どもが夢の跡” 「設楽原の古戦場」【愛知県新城市】
- 2016.06.14
- 愛知県(豊田市を除く)
アルフォンソ・カフェでゆったりした後、「設楽原の古戦場」へ向かった。
途中にはこの戦いの発端となった長篠城の横を抜けて行くのだが、ここは何度も寄ったことがあるので今回はスルー。
長篠の戦いについてはこちらのサイトを。
カフェから車で15分も走れば到着。
ここが設楽原の古戦場で、武田方の陣跡から見たところ。
(スマホの方はピンチアウトで拡大できます)
設楽原という名前から受ける印象よりはるかに狭い所で、間にある連吾川などは小川に過ぎない。
家康の本陣の下に馬防柵が復元されているのが見える。
この距離だと相手の武将の顔まで判別できそうなほどだから、いかに近いかお分かり頂けるだろうか。
馬防柵の所まで来てみた。
右手の山が家康の本陣跡の弾正山。
この柵で武田の騎馬軍団を防いだのだ。
当時はこの柵が二町(約 2km)にわたって作られていたとのこと。
そしてこの柵の間から三千丁(諸説あり)もの火縄銃で撃ちかけたのだから、凄まじいものだったのだろう。
内側(信長側)から見ればこんな感じ。
ここからだと武田勝頼の本陣が丸見えだ。
ここが設楽原で、数百メートルの幅しか無い。
連吾川に至っては川というよりも水路のようなもので、飛び越えられるほどの幅しか無い。
連吾川。
水はチョロチョロと流れているだけなので、簡単に渡れる。
川の左右が設楽原で、水田になっている。
今でも当時の銃弾が出てくるというから、驚きだ。
資料館に展示してあった火縄銃。
当時の最新兵器。
こんな銃を三千丁も揃えた織田・徳川連合軍と、最強と謳われた武田の騎馬軍団との戦いは、やはり死闘だったと思う。
戦の様子を描いた当時の屏風絵。
距離感は違うが配置はこの通りで、よく描かれている。
信長、家康だけではなく、秀吉も前田利家もいたし、武田方には真田信綱(真田昌幸の兄)もいたが、この戦いで戦死している。
武田の騎馬軍団がこの柵をめがけて突っ込んでいったのかと思うと、生死を賭けた侍の生き様が凄い。
今の我々にそんな覇気があるだろうか。
この地で織田・徳川連合軍30,000、武田方が12,000ほどの大軍が戦い、そして武田側の死者が1万人ほどだったというから凄まじい戦いで、武田方はほぼ全滅。
死者が1万もでる戦いとはなかなか想像できないが、何れにしても大きな戦だ。
敗れた武田勝頼は命からがら本拠地の甲府まで敗走するのだが、甲府を出るときは15,000ほどの軍を率いて出てきたのに、甲府に帰った時には僅か十数騎だったとか。
敗走途中、休息のため武田側の田峰城に寄れば、すでに城代家老が織田方に寝返っていて城に入れないということもあったとか。
仕方なく武節城(豊田市の稲武にあった城)まで逃げ落ちていくのだが、その時の勝頼の心境はどんなものだっただろうか。
設楽原の合戦場も歩けば他にも見どころがあるだろうけど、帰ることにする。
帰りに新城ICの手前にできていた道の駅 ”もっくる新城” に寄り道。
何も目的はないが、折角なので寄ってみた。
木造の立派な建物が目を引く。
今は強固な集成材があるから、木造でもこんなドーム状の建物が出来るのね。
昼時とあってフードコートは満席で、よく賑わっている。
ただしここはビュッフェ形式なので、ビュッフェ嫌いの私には無縁の場所だ。
こちらは農産物の販売。
キノコや野菜を買っていくことにした。
それとこの道の駅のトイレがビックリするほど広くて驚く。
清潔なのはもちろんだが、とにかく広いのだ。
日本のトイレ事情は世界に誇れるもので、世界一と言っても過言ではない。
清潔な国なのだ。
新城ICから新東名に乗ればすぐに長篠のパーキングエリア。
初めてなのでここにも寄ってみた。
正式には ”長篠設楽原PA” という名称だが、遠方から来た人に ”ナガシノシタラガハラ” と読めるだろうか。
イメージは戦国の世界のつくりで、家紋は織田と徳川。
因みに上り線側は武田の家紋だそうだ。
知らなかったが、このPAのすぐ横が長篠の合戦の信長の本陣だった。
登れるように整備されていたので登ってみた。
信長・家康の連合軍は、家康の本拠地の岡﨑から3日かけてここへ着陣。
今なら車でアッという間だけど、当時は歩いてくるのだから大変だ。
肝心の本陣跡地の画像を撮り忘れてしまった。
跡地は平らに整地されていたが、意外なほどに狭かった。
ここに信長が居たのだと思うと、まわりの景色も違って見える。
木々が生い茂って展望は開けていない。
この景色はPA側にある展望台から見たところのもの。
信長や家康もこんな景色を見たのだろう。
お腹がすいたのでPAの店でちょっと食べていくことにした。
店内は戦国ムード。
それと出来たばかりなのでキレイ。
こちらはレストランならぬ食堂。
ここもピカピカだ。
メニューは戦国の物ではなく今のもの。
当たり前か。
頼んだものは蕎麦ナントカ。
ざる蕎麦に小ソースカツ丼がセットになったもの。
蕎麦はPAの標準的な味だが、ソースカツ丼が旨い。
駒ヶ根や伊那のソースカツ丼とは違い、味噌ベースの濃厚なタレに絡めたトンカツが旨いのだ。
カツもヒレカツで上等な感じ。
このソースカツ丼の単品があれば喜んでそれをオーダーするのだが、残念ながら単品では無い。
コレ、単品としてメニューに加えれば売れると思うけど、検討してもらえないかな。
他にはこんな商品もあった。
真田丸。
設楽原とは縁が無い真田丸だが、ま、こういう時代だということで。
最後は取り留めの無い話しになってしまったけど、この地に5万もの軍勢が集まり、1万もの兵が死んだという大合戦があったことは事実。
それもわずか450年前の事。
信長や家康、勝頼などの武将たちはもちろん、名も無き兵たちがどんな気持ちでここで戦ったのだろうか。
”兵どもが夢の跡” か。
武将や兵たちの雄叫びの声が聞こえてきそうだ。
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