家で食べる晩ご飯も ”エンターテイメント” なのだ【自宅】
- 2020.07.03
- 家飲み/家食べ
この日の晩ごはんは、こんなセットが用意された。
塩サバにご飯と味噌汁という、絵に書いたような「一汁一菜」のセット。
食べればこれが美味しくて、何の不足もない。
それどころか白いご飯に塩サバというのは、これ以上の組み合わせはないのではと思うほどに美味しくて、食べ飽きない。
栄養面についての知識は全く無いので、これでいいのかどうかは分からないけど、日本では昔からこんなご飯を食べてきた。
尤も私の場合はご飯の前にアテを摘みながら一杯飲んでいるので、カロリーは摂り過ぎかもだが、この日もご飯の前にこんなんで一杯飲んでいる。
ナスとエリンギの炒め物に、オニオンスライスのサラダをアテにしてビールを飲んでいたのだ。
それに加えてギョーザも食べているから、完全にカロリーオーバーだろう。
だけど食べることは栄養の補給だけではなく、楽しくなければ面白くない。
栄誉の補給というのも大事なことだけど、それだけでは無味乾燥な食事になってしまう。
食事には寛ぎも欲しいし楽しさも欲しいのだ。
そういう意味では食事は娯楽であって、例えば洒落たイタリアンの店で食事をするのも娯楽になる。
食べることは ”エンターテイメント” の世界なのだ。
家でもそれなりに楽しめる食事にしたいのだが、私の場合、それは一杯飲むこと。
日々の食事が楽しくないと、人生も味気ないからね。
とカッコいいことを書いたけど、食べるには誰かが食事を作らないといけない。
毎日据え膳で一杯飲んでいられるのは、それは誰かが毎日ご飯を作ってくれるからだ。
その誰かというのは、大抵の場合奥さんになるだろうが、毎日ご飯を用意するのは簡単なことではない。
一年365日献立を考えて料理を作るというのは大変な作業で、しかも休みがない。
仕事なら週休二日とか盆休みや正月休みとかあるけど、食事は年中無休で休みがないのだ。
しかもそれがエンドレスに続くのだから、考えれば気が滅入る。
私も時々食事を用意するけど、上手く出来る時もあれば失敗することもある。
それでも奥殿からすれば、たとえ失敗しても助かると言うのは、私が作る時は休めるからだと思う。
下手でも作ってくれるだけでいいというのは、そういう理由なのだろう。
これは最近私が用意した食事で、コロッケだけど、盛り付けるときにコロッケが割れてしまった。
ソースを掛けてごまかしているから目立たないけど、半分に割れているのだ。
そんな見栄えの悪さはあっても、作ってくれるだけでいいと言うから、作る方も気が楽だ。
因みにこちらは割れずにキレイに盛れたコロッケ。
見栄えも大事だけど、「一汁一菜でよいという提案」を書いた土井善晴さんによれば、毎日の食事は、そんなにガンバって用意しなくてもいいという。
ご飯を作るのが負担になっている人や、疲れて毎日作るのがしんどい人たちに向かって、そんなにガンバって作らなくてもいいですよ、というのだ。
それで「一汁一菜」でいいということだけど、一汁一菜でも十分に美味しいしお腹も満足できる。
ご飯さえあれば時間がなくても用意できるから、忙しい人でも何とかなる。
これなら料理のスキルの低い私でも作ることが出来そう。
それに食べればこれが美味しい。
豪華な飛騨牛のステーキやトロの握り寿司でなくても、これで十分にエンターテイメントしているのだ。
とは言え、たまには美女とエンターテイメントしてみたいけど、それはまた別の話しか。
今夜も美味しかった、ごちそう様でした。
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