家で食べる晩ご飯も ”エンターテイメント” なのだ【自宅】

家で食べる晩ご飯も ”エンターテイメント” なのだ【自宅】

 

この日の晩ごはんは、こんなセットが用意された。

塩サバにご飯と味噌汁という、絵に書いたような「一汁一菜」のセット。

 

食べればこれが美味しくて、何の不足もない。

それどころか白いご飯に塩サバというのは、これ以上の組み合わせはないのではと思うほどに美味しくて、食べ飽きない。

栄養面についての知識は全く無いので、これでいいのかどうかは分からないけど、日本では昔からこんなご飯を食べてきた。

 

尤も私の場合はご飯の前にアテを摘みながら一杯飲んでいるので、カロリーは摂り過ぎかもだが、この日もご飯の前にこんなんで一杯飲んでいる。

ナスとエリンギの炒め物に、オニオンスライスのサラダをアテにしてビールを飲んでいたのだ。

 

それに加えてギョーザも食べているから、完全にカロリーオーバーだろう。

だけど食べることは栄養の補給だけではなく、楽しくなければ面白くない。

 

栄誉の補給というのも大事なことだけど、それだけでは無味乾燥な食事になってしまう。

食事には寛ぎも欲しいし楽しさも欲しいのだ。

 

そういう意味では食事は娯楽であって、例えば洒落たイタリアンの店で食事をするのも娯楽になる。

食べることは ”エンターテイメント” の世界なのだ。

 

家でもそれなりに楽しめる食事にしたいのだが、私の場合、それは一杯飲むこと。

日々の食事が楽しくないと、人生も味気ないからね。


 

とカッコいいことを書いたけど、食べるには誰かが食事を作らないといけない。

毎日据え膳で一杯飲んでいられるのは、それは誰かが毎日ご飯を作ってくれるからだ。

 

その誰かというのは、大抵の場合奥さんになるだろうが、毎日ご飯を用意するのは簡単なことではない。

一年365日献立を考えて料理を作るというのは大変な作業で、しかも休みがない。

 

仕事なら週休二日とか盆休みや正月休みとかあるけど、食事は年中無休で休みがないのだ。

しかもそれがエンドレスに続くのだから、考えれば気が滅入る。

 

私も時々食事を用意するけど、上手く出来る時もあれば失敗することもある。

それでも奥殿からすれば、たとえ失敗しても助かると言うのは、私が作る時は休めるからだと思う。

下手でも作ってくれるだけでいいというのは、そういう理由なのだろう。

 

これは最近私が用意した食事で、コロッケだけど、盛り付けるときにコロッケが割れてしまった。

ソースを掛けてごまかしているから目立たないけど、半分に割れているのだ。

そんな見栄えの悪さはあっても、作ってくれるだけでいいと言うから、作る方も気が楽だ。

 

因みにこちらは割れずにキレイに盛れたコロッケ。

見栄えも大事だけど、「一汁一菜でよいという提案」を書いた土井善晴さんによれば、毎日の食事は、そんなにガンバって用意しなくてもいいという。

 

ご飯を作るのが負担になっている人や、疲れて毎日作るのがしんどい人たちに向かって、そんなにガンバって作らなくてもいいですよ、というのだ。

それで「一汁一菜」でいいということだけど、一汁一菜でも十分に美味しいしお腹も満足できる。

 

ご飯さえあれば時間がなくても用意できるから、忙しい人でも何とかなる。

これなら料理のスキルの低い私でも作ることが出来そう。

それに食べればこれが美味しい。

豪華な飛騨牛のステーキやトロの握り寿司でなくても、これで十分にエンターテイメントしているのだ。

 

とは言え、たまには美女とエンターテイメントしてみたいけど、それはまた別の話しか。

 

今夜も美味しかった、ごちそう様でした。

 

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