雨に煙る「窯垣の小径」【瀬戸市】
- 2015.04.20
- 愛知県(豊田市を除く) 日本酒
岐阜の「こもれび街道」から「せせらぎ街道」を抜けて、飛騨清見で豆腐料理を食べようと予定してたら、雨。
せっかく洗車までして準備してたのにね、、、
予定が空いてしまったので、洒落た店でランチをと考えても店が思い浮かばない。
で、久しく蕎麦を食べていないから瀬戸の「志庵」に行きがてら、「窯垣の小径」(カマガキノコミチ)にも寄ってみようということになり、出かけてきた。
そぼ降る雨の中、到着した「窯垣の小径」。
初めて訪れた場所で、この小径を知ったのは蕎麦屋「志庵」で画像を見たから。
壁紙に描かれていたのが、この画像。
ここが「窯垣の小径」に入ったところで、公園風に整備されてる。
後で知ったことだけど、「窯垣」とは陶器を焼く時に使う柱とか板状の棚の使い古したものを再利用したもの。
釜の中で使うものなので火に強い陶器製で、それらが釜の中で自然の釉薬が乗って味わいのあるものになったものとか。
古くなって割れてしまった物などを土留などに使ったのが、この「窯垣の小径」。
幾何学的な模様になっていて、アートに感じる。
釜垣には独特の風合いがあって、普通の石垣が野暮ったく見える。
結構な傾斜の道が続く。
これは玄関先に使ったもの。
適当に積んだのではなく、ちゃんと考えて積まれてる。
職人の感性。
いつの時代のものか知らないけど、古さを感じさせない。
芸術家が積んだのではなだろうけど、作品にも見えてくる。
資料館にあった釜垣の元の姿。
これらの部材が一つの釜の中に何千、何万と使われていた由。
それが古くなりひび割れたりしたものを再利用したもの。
板状のものなどは今で言うところのテラコッタとして使える。
古い窯元の家が資料館として残されていて、そこの土間にも敷かれてる。
資料館の女性からは詳しい説明を受けた。
お茶までごちそうになってしまった。
資料館として使われてる江戸時代からの窯元の家。
当時としては立派な屋敷だったのでしょう。
この路地のような道が昭和の初めまでメインの道(洞街道)だったというから驚き。
今もここで生活してるけど、車は入れない。
それにしても狭い道だ。
午後も一時を過ぎたから、蕎麦屋も空いてるだろうと志庵へ。
着いてビックリ、行列ができてる。
瀬戸市で「陶祖祭り」というのをやっていて、それで混んでいるのだとか。
諦めて他に行こうかと思ったけど、奥殿が待つというので待機。
今年初めての「志庵」だけど、長くなってきたので続きは次回に。
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